テレビ局を訴えますか?と言われた

再就職をした。仕事内容は簡単であったが12時間労働であり、休憩場もなく車で休憩し何か月も他人としゃべった事がなくなった。テレビで3月いっぱいで天風会の先生が降板することもあり書類を書こうかと思いながら、月日は4月になっていた。1年ぶりくらいに書類を書きテレビ局や市役所福祉課に送った。内容は、逮捕に至ること、入院に至る事や創価学会が警視庁の人事や予算を牛耳って何十年にもなり警戒するべきだと言う内容だった。2007年6月18日に肺炎で親父が死んだ。77歳だった。親孝行していなかった。仕事は続かなかった。7月に辞め、車で巡回した。「創価学会は、カルトだ」と叫んで回った。するとスーパーに車を止めている時、パトカーが来て00署に連行された。署に入る前、他のパトカーがクラクションを鳴らし続けるという異常現象が起こった。警察署では、誰にも見せていないノートを取り上げられ受精の事を書いていたこともあり2度目の入院になった。隔離室に3日入れられ、閉鎖病棟に入れられ、その後担当が変わった医師が来て「テレビ局を訴えますか?」と言ってきたので、SHINは「間接的にテレビに侵入してきているので訴えません。様子をみます」と答えた。もし、この時「訴えます」と言っていたら、状況は変わっていたかもしれない。今回は、ここまで。

苦しい入院生活

被害者のはずが加害者として入院させられた。最初は、隔離室に入れられ3日間程は騒いでいたが、その後諦めおとなしくなった。1週間で隔離室から出され閉鎖病棟に移った。担当医と話しがあり、SHINは、「書類を読んでください」と頼んだ。担当医は、「読まなくてもわかる」と言い相手にされなかった。悔しい思いをしたSHINは、不服申し立てをした。だが、なしのつぶてだった。薬の副作用で足がムズムズして動かずにはいられず、病棟の中庭をぐるぐる歩き回った。食事も喉を通らなくなりスープ状にしてもらった。体重が10キロも減った。右も左もわからなかった。発狂しそうにもなり宗次郎のオカリナのCDをイヤホンで聞いて落ち着かせた。今も、寝る前に宗次郎のCDを聞いている。みなさんにも宗次郎のCDおすすめする。一生退院が出来ないと思い込んでいたSHINは、「負けた、やられた」と思っていたが、病棟内の人と話すうち、身内に「退院させてやってください」と電話してもらうと退院できると情報が入った。3か月で退院できた。しかし、薬を飲まなかったら、車の運転中全身痙攣が起こった。病院の近くだったので 、なんとかたどり着き退院1日目でまた再入院した。それから1か月で退院した。デイケアに通い始めた。薬のせいで体がだるく頭もボケっとしていた。テレビを点けても反応ができず書類を書く行為もままならず、ぐったりしていた。3か月後に再就職をした。今回はここまで。 

入院させられる

5月になった。大分を巡回して書類を大・高・中学校にばらまいた。帰り熊本で夜9:00くらいに000中学校でナイターで野球をやっていたし、明るかったので、ここにも書類をポストに入れ帰宅した。次の日xx警察署員が訪問し連行された。最初に、3名の担当官にSHINは、「毒性に強い生命力を持っています。これを有効活用したいんです。社会貢献です。受精をします。もちろんお互いの同意が必要です。」としゃべった。その後、事情聴取となった。担当官は、「あなたは学校に入り窓をこじ開けて侵入しようとしましたね。証人も何人もいます」と言ってきた。SHINは、「それはウソです。指紋や靴跡をとって下さい。」と言うと、すぐに担当官は、「撤回します、ウソでした」と言った。SHINは、「なぜウソをつくんですか?」と言うと担当官は、「一人が証言すると、みな右へ倣いで言ってしまうんです。」と言った。これで帰れるかと思ったら、担当官は、校長に電話を掛け「どうしましようか❓」と言った。校長は、「学校に車を乗り入れる事を許可していません」と答えた。そこで、いきなり担当官は、「車を学校に許可なく乗り入れた罪で逮捕します」と言ってきた。SHINは、呆然となった。たったこれだけで逮捕なんてね。でも、もうどうしょうもなかった。 夜に00警察署に連れていかれ一夜を過ごした。次の日、精神鑑定が行われ、SHINが言った「毒性に強い生命力を持っています。これを有効活用したいんです。社会貢献です。受精をします。もちろんお互いの同意が必要です」が鑑定士に伝わっていたみたいで、精神病院に入院させられた。前に警察が言った「公けにしないでください。」や「逮捕者が続出します」などは言っていなかったので仕方ない。今回はここまで。次は入院生活を書く。