2-5「はい」と言えなかった

「NICE」が二人、読者が数十人、有難いことだ。本題に入る。休憩にはいった。50人くらいが休憩室にはいってきた。会話をしていたが、SHINが一言声を発すると会話がやみ一斉に立ち上がり休憩室を出て行った。補聴器付いていると思ったくらいだ。そして円陣を組んで話があった。そのとき隣に来た知らない男が「ここで起こった事は外ではしゃべらないようにね。話したらどうなるかわかるよね(狂人とおもわれる)」と言った。そして、「聞こえたかな?」ともね。この言葉を聞いてSHINは、初めて恐怖を感じた。「いつか殺される.それも突然死扱いだ」と思った。「こいつも仲間だ。完全に組織犯罪だ。創価学会に違いない」とね。そして上司から呼ばれ2Fの食堂に行った。内容は「社員になりませんか?、年収は800万円です」とね。いい話だ。だけどSHINは「はい」とは言えなかった。命の事を最優先に考えたからだ。今では、悔いが残る話だ。寮に帰った。テレビを一切観ていなかったSHINは、久しぶりにテレビを点けた。テレビ朝日の番組で「SHINちゃんもっとテレビ観て下さいよ」と言ってきた。状況からみて私に言ってきていると思った。テレビ不法電波侵入だ。次の日とその次の日は、「風邪」と言って休んだ。病院に行って「毒」を調べてもらうためだ。「毒」とは言えないので風邪と言って診察を受けた。00先生は、診察もそこそこに裏にまわり「風邪と言って来ているんだ。私は次の学会で発表する」と看護師に言っていた。この先生もSHINの事を知っている。「毒性に強い生命力を持っていることを言っている」と思った。2年後に他の会社で健康診断で00先生と再会したが、SHINが「お久しぶりです」と言うと「お元気ですか」と返してきた。やっぱりただの患者ではない。「覚えているんだ」と思った。

記事は、真実である

ブログがあるから助かっているが、真実を公表出来る場がなかった。私の体験した事は、現実からするとかけ離れているが、警察も「公けにしないでください」と2005年8月に言われている。その時は、遺伝子のことも書いている。もう何回分かは、驚く事があると思うが、ブログを使って語りたい。記事は、土曜日に書くようにしている。

2-4生きてたと言われた

2005年3月とある日曜日SHINは目を覚まし寮の玄関までいった。すると右10mくらいに3~4人がいてその中の寮長がいきなりSHINを見て「生きてた、死んでいなかった(死んでいるのが当然)」と言い大声で泣き崩れた。そして「私はSHINを知ってるもん、似てただけだ」と言った。それを聞いたSHINは、呆然とした。部屋に帰り考えた。「生きてた」とは、どういう事だろう。また、毒を盛られたのだろうか。焼酎か夕食に毒を入れられた可能性が高い。でも、生きている。不死身ではないので致死量が違うのだろう。寮長が大声で泣き崩れたほどだ。いずれ致死量を超えて死んでしまう。気を付けないといけない。 次の月曜日、昼休み誘導されて前の職場の休憩室に行き誰も飲んでいない水飲み場で水を一口飲んだ。20秒後くらいに首が後ろにガクンとと逝った。すると「2秒で蘇生しやがった」と声が掛かった。聞き間違いかと思い職場に戻って仕事をした。少ししてまた、胸が苦しくなり首がガクンと逝ったので交代してもらい休憩室に行った。少しすると若い女子社員が入ってきて「私見てたもん、飲んでないもん」と言った。その言葉を聞いたSHINは、「やっぱり毒らしきものが入っていたんだ」と思った。それに若い女子社員は、2~3日前に休憩室である男が「あなたも創価学会なの、だから雇われたんだ」と話し、その前に座っていた女だった。「創価学会が絡んでいるかも知れない」と思った。続きは、次回